神戸にルミナリエを見に行った。
去年(2019年)の話である。
2019年12月8日に祖母と母を連れて兵庫県は神戸市に神戸ルミナリエを見に行った。
神戸ルミナリエとは
神戸ルミナリエ(こうべルミナリエ)は、神戸市の旧居留地において、1995年から毎年12月に行われている祭典、または電飾されている場所を指す。通りや広場を独特の幾何学模様で構成されたイルミネーション(電飾)で飾り、昼間とは異なる風景を現出させてその景観を楽しむ。 基本的にはイタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と、神戸市在住の今岡寛和の共同作品であるが、2011年の第17回開催および2015年の第21回開催は、東京在住のイタリア人であるダニエル・モンテベルデがプロデューサーを務めている
wikipedia参照。
数年前、もしくは10年以上前から祖母がルミナリエのニュースが流れるたびに、私に「見に行きたいね」と行っていた。それを聞くたびに私は「今度ね」とか「お兄ちゃんが連れて行ってくれる」とか適当に流していた。
連れて行ってあげたい気持ちはあったが、私はろくに働いてもいなかったので(いまもだが)なかなか連れて行ってあげることができなかった。
で、今回(2019年冬)である。
グッドマンサービスでリゾートバイトを8ヶ月ほどしてお金は150万ほど貯まったので祖母を神戸ルミナリエに連れて行ってあげることにした。ついでに母も連れて、祖母、母、私の三人で神戸にルミナリエを見に行った。
神戸までは高速バスで行った。
朝九時出発のバスに乗って神戸へ。
高速バスが出る駅まで父に車で送ってもらい、出発の時間まで駅内で待機。
時間になり受付をして車内に。始発駅で乗る人は私達家族だけだった。
出発進行!
停留所に止まるたびにだんだんと人が増えてきて、結局満員となった。
数時間ほどバスに乗り目的地である神戸についた。
そこからシャトルバスに乗って宿泊先である「ホテルオークラ神戸」へ向かった。
ホテルにチェックインして30分ほど部屋で休憩して、目的のルミナリエを見に行った。
時刻は16時半ぐらいだったかな?
晩ごはんを食べてルミナリエに向かったのだが、この道中で祖母はフラフラになりながら
私達に付いてきていた。
神戸らしいもの(神戸牛)を食べさしてあげたかったか予算上や時間の都合、予約の問題などあり、祖母の好きなうなぎを食べさしてお茶を濁した。
うなぎのお店は『うな重』 私と母はうな重、祖母はうな丼(上)をさらにう巻きを注文して分けて食べた。
皮がパリパリで美味しかったです。
少しご飯が大きかったかな?残してしまった。
美味しかったです。また来たい!
祖母は高齢(80代後半)のため日頃から歩くのが疲れると言っていたので、はたしてルミナリエを見ることができるのか(混雑対策のためかルミナリエ行き着くために迂回路を1キロぐらい歩く)心配していたが、鰻屋でご飯食べているとき(ホテルから1キロぐらい)すでにフラフラの状態であった。
鰻屋をでて、ルミナリエ向かう。(私が案内人だが私も初めて行くのでよくわかってない)
南京町の中華街を人混みの中を母と祖母(後期高齢者)をグーグルマップを頼りに歩くと
『ルミナリエここから』という看板と通行用に区切られた通路を見つけた。
『良かった。見つけられた。これでルミナリエ見られる』
と私は安堵し、人混みの列に紛れる。祖母が疲労、というか高齢者なので歩くのが遅いので右端を3人で歩く。
だんだんと進むのだが、一向に電飾の気配はない。本当にこの列であっているのか。この列はもしかしたら出口に向かっているのかも知れない。そんなことを思うぐらい、長い距離を歩いたし、電飾の気配もなかったが、徐々に明るいイルミネーションの光が見えだして、『この道で合ってたな』と確信して歩くことができた。
神戸ルミナリエの感想としては
『入口のイルミネーションが一番良かった』
である。
新聞の一面やニュース映像に流れるあれである。あれが一番良いです。
みなさんもぜひ。鎮魂の気持ちもわすれずに。
イルミネーションの中を中を歩き終えたら広場で休憩。広場には屋台が出ており、パン、お菓子、お肉、など売られていて美味しそうだった。私は買いませんでしたが。うなぎで腹いっぱいでした。
そんなこんなで広場をでて、三宮駅へ、
帰りの道中で屋台で玉子焼き買いました。
結局、ホテルからルミナリエみて三宮駅駅までの距離で3キロほど歩いたのではないでしょうか。祖母は頑張りました。
ホテルについて、私は歩いて三宮をぶらぶら、松屋で牛丼食べて、ホテルに戻り、風呂入り一時ぐらいにネタ。
ホテルからの景色。